地区の概要 ・ 位置図 ・ 沿革

1 地区の概要

東岐波地区は、山口県宇部市の東部にあって、東は山口湾に面し、西は西岐波・川上校区に、北は山口市阿知須地域に接し、南は周防灘に面しています。地形はほぼ三角形をして東西約4.66㎞、南北約5.22㎞、面積は、約13.7k㎡あります。人口は、 13,195人(平成27年2月末現在)です。

一般に西に高く、なだらかな起状が続いて東南側に低くなっていますが、平野部は台地と川すじの低地からなっています。山は高いものはありませんが、東岐波小・中学校の校歌にも歌われている日の山(標高146m)は、東北の海岸近くに山口市阿知須地域との境にそびえており、その姿形から「象山(ぞうやま)」とも呼ばれています。海岸はほとんどが自然海岸で出入りが多く、月崎、丸尾の両岬が、相対して海に突き出し、岐波、丸尾等の湾が連なっています。

また、名勝・旧跡が多く、中でも東岐波の干潟は月崎・若宮・波雁ヶ浜・黒崎・三神社に囲まれて、約90haと広大で、日の山を背景に素晴らしい景色です。最近は県外からもカイトボードの愛好者が集まってきます。

古くは、農業や漁業が盛んでしたが、近年、田畑が減り、宇部市のベッドタウンとして住宅地が増加しています。日の山

2 位置図


3 沿革

東岐波の歴史は古く、今から1万3千年以上前の旧石器時代の石器をはじめ、月崎・前田・花園・新土手などおおくの特に月崎から縄文時代の土器や石の矢じり、魚を獲る網につける石や土のおもりなどが発掘されており、太古から東岐波が住みよいところであったことが伺えます。

ついで、今から2千3百年前くらいからはじまる弥生時代には、王子の本山や白岸、古原田池周辺で弥生式土器が見つかっています。このころになると農業も始まりました。

伝説によると、前田・花園・北原・磯地・古殿一帯は、出入りが激しい海岸で波が分かれて打ち寄せていたので、「岐波」という名が起ったということです。また、海の際の地であるので、別の字をかりて「岐波」と書いたという説もあります。

江戸時代には、小郡宰判のもとにありましたが、明治5年(1872年)庄屋制度の廃止によって戸長と改まり、明治8年(1875年)初めて岐波村戸長役場がおかれました。

明治12年(1879年)6月、岐波村は、東西岐波村に分かれ、終戦後の市町村合併により、東岐波村は昭和29年(1954年)10月宇部市と合併し、現在に至っています。

わが村の歌(抜粋)  書  松野辰一

 

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